こんにちは。元住宅営業マンまめおやじです。
住宅営業の方法は時代と共に進化し、今では効率的な働き方が求められています。
しかし、昭和時代の住宅営業マンがどれほど過酷な環境で働いていたのか、今では想像しにくいかもしれません。
本記事では、私が体験した昭和時代の住宅営業マンの一日を、実際の業務内容とともにお伝えしたいと思います。
現代の営業マンと比較して、どれほど過酷だったのか、ぜひご覧ください。
- 現役営業マン
- 営業マンに興味がある人
- 昭和世代の人

1.朝の準備と出社:忙しさの始まり

昭和時代の住宅営業マンは、朝から忙しい一日が待っていました。
私は毎朝、8時30分には事務所に出社。始業時間は9時からですが、8時30~9時まで、全員で事務所の掃除を行うという習慣がありました。
この時間は決して無駄ではなく、掃除をしながら今日のやるべきことや仕事に向けた気持ちを整える時間でもありました。
しかし、私の場合は、いつも8時30分ぎりぎりに事務所に滑り込むことが多く、掃除をしながら、眠気の取れない頭で、その日一日の準備を整えていました。
その後、朝礼が始まります。
朝礼は、全員が集まって今週の予定や営業進捗を報告し合う重要な時間。
上司の話が長いと、便意をもよおし、プルプルしながら我慢して立っていることもありました。
朝礼が終わった後にトイレへダッシュしていたことを時々思い出します。
朝礼が終わると、皆でコーヒータイム。
事務所に備え付けられたコーヒーメーカーで、女性社員が淹れてくれたコーヒーをみんなで飲むのが日課となっていました。
コーヒーの粉は、社員全員でお金を出し合い、会社からは一切支給されませんでした。
コーヒーを飲みながら、少しだけリラックスした気分になったものの、隣で上司が吸うたばこの煙がイヤでした。
今でも、タバコとコーヒーのまざった独特の臭いはあの時の記憶とともに、忘れることはできません。
2.朝礼から始まる激務:上司との緊張感溢れる時間

月曜日の午前中には、ミーティングが必ず行われました。
ミーティングでは、今週の行動予定や商談状況、契約予定を報告します。
上司の厳しい指摘を受けながらも、情報を伝えるのが重要な時間です。
しかし、このミーティングはしばしば長時間に及び、その間の空気は非常に緊張していました。
上司の話が終わらないと、休憩にさえ行けません。上司が話を進めると、無駄な笑いはなく、空気は常にピリついていました。
私たち社員も、発言する際には慎重にならざるを得ませんでした。
上司が気に入らない受け答えがあると、その場で反応し、どんどん追い詰められていくのです。
このような雰囲気の中で仕事を進めることが当たり前だったため、私は常に緊張しながらも耐えるしかありませんでした。
振り返ると、あの時の空気感が、営業の経験としてとても貴重だったと感じます。
3.昼食と息抜き:同僚とのランチタイム
昼食になると、ようやくホッと一息つける時間が訪れます。
しかし、田舎の限られた食事の選択肢の中で、昼食場所が決まっているのが現実でした。
食堂AかB、喫茶店Cといった選択肢がほとんどで、毎日のように同じ店に通っていました。
特に食堂Bは、上司のお気に入りで、弁当がない日は現れるので、食堂Bは基本的に避けていました。
店の選択肢が少なく、食べるものも決まっているため、昼食時の会話はあまり弾むことがありませんでした。
昼食後、社員たちは各々、午後の業務に備えるために事務所に戻ります。
上司の顔を見たくない私は、昼食後に外で少しリラックスできる時間があると、気持ちが楽になりました。
事務所に戻ると、また次の業務が待っているため、外でリフレッシュすることは私にとって貴重な時間だったのです。
4.午後の仕事:不動産屋訪問や現地調査
昼食後、午後の仕事は顧客訪問や不動産屋回りに費やされることが多かったです。
事務所には上司がほとんどいました。昼間事務所にいようものなら何言われるかわかりません。
なんとなく、昼間は事務所にいてはいけない風潮がありました。
なので、よくなじみの不動産屋へいき、コーヒーを頂いて、世間話をしていました。
上司から解放される瞬間であり、日常の息抜きとなっていました。
不動産業者に用もなく足繫く通ったり、土地の写真を撮りに行ったりしたおかげで、土地を購入したお客様を紹介していただきました。
こうして、不動産屋回りや現地見学をしながら、新たな土地や物件をチェックし、次の商談に備えていました。
こうした活によって、営業マンとして非常に重要な時間であり、顧客に対しても貴重な土地に関する情報を提供できるようになってきました。
5.夜の訪問とゴールデンタイム:顧客への電話と訪問営業

営業のゴールデンタイムは、夕食後の時間から始まります。この時間帯に、顧客への電話や訪問営業を行い、商談を進めることが求められます。
夜の営業が始まると、気持ちが緊張感で高まり、毎回ドキドキしながら電話をかけていました。
特に、電話営業が苦手だった私にとっては、この時間帯が最もストレスを感じる瞬間でした。
上司が横で黙って話す内容に聞き耳を立てているのです。
当時は、電話が留守電になると必ずメッセージを入れることが習慣となっており、そのメッセージ内容にも注意が必要でした。
月末にはその結果が報告され、電話件数や夜訪件数が少ないと、月曜日のミーティングに緊張が走りました。
営業マンにとって、数をこなすことが非常に重要であり、数字に追われるプレッシャーが常に存在しました。
6.深夜の事務作業:提案資料や図面作成
夜訪が終わると、事務所に戻り、提案資料や間取り図の作成に取り掛かります。
顧客に提案する資料は、一から手書きで作成し、設計チェックを受け、最終的に配置図や平面図を清書しなければなりません。
特に、注文住宅の図面作成は非常に手間がかかり、数時間以上かかることが常でした。
また、現場見学会のチラシ作成やレイアウトも私の担当であり、上司からの指示を受けて、修正を繰り返しながら最終的に完成させていきました。
7.終わりなき1日の終焉:深夜まで続く仕事

上司が帰らない限り、私たち営業マンは帰れません。
深夜まで続く仕事が終わらないと、帰るタイミングを逃すことになります。
上司が帰った後も、事務作業が待っており、営業の長い一日はなかなか終わりませんでした。
そのため、深夜2時過ぎにやっと上司が帰ると、「お先に失礼します」と言って、ようやく帰路につけるのでした。
しかし、翌日もまた同じように過酷な一日が待っているため、休む暇なく再び仕事に向かっていました。
8.まとめ:昭和の営業環境とその後の変化
昭和時代の営業環境は、今では考えられないほど過酷でしたが、その経験が私を育てました。
現代では、営業の方法や労働環境が大きく変化し、効率的に働ける環境が整っています。
それでも、あの時代の厳しさや仕事の進め方が、現在の私にとっては非常に大切な財産となっています。
厳しい上司との数年間でしたが、私まめおやじの住宅営業の基礎を作られたことは間違いありません。
当時のメンバーと交流があり、当時の話で今でも盛り上がります。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
あなたにとって良い一日を ~まめおやじ

コメント