最初の3年間は大変でした【後編】

自分のこと

こんにちは 正直住宅コンサルタント 

まめおやじです。

前編のつづき、後編です。

二度目の異動

異動して半年、またも異動に。

今度は自宅から1時間ほどの展示場。

展示場の雰囲気は明るく、いい感じ。個性豊かな面白い先輩後輩。成績上位店とはこういう雰囲気か。

個人成績はというと、時間がかかっていたが、きまりそうな案件があり、息ができないような緊迫感からは勝手に開放されていた。

仕事は厳しかったが、やりがいはあった。

そんな中、突然の戦力外通告。

一瞬耳を疑ったが、過去の成績からしたらそうだろう。

悲しくはなかった。楽になるな、と思った。

戦力外の話は表にはでておらず、年度末まで通常どおり仕事をせよとのこと。

そんな中、長期にわたり商談していたものが契約となった。その後、たまたま平日対応したお客様が契約になった。単月2棟契約。

皮肉なものです。戦力外通告後に2棟も契約になるなんて。

顧客にとって、ギラギラむんむんの営業臭がしなかったのかもしれません。それまでの私はかなりの営業臭をまとっていたのかもしれません。

戦力外通告

2棟契約したので、心の片隅で戦力外通告が覆るのでは期待した。いや、してしまった。してはいけなかった。

現実は厳しく、直近の成績より3年間トータルの成績を判断し、正式に戦力外通告を受けた。

二回殺されたようなものだ。自分で勝手に期待して、裏切られたような気になり、完全に心が折れた。

そして、人事に辞意を伝えた。

すると人事担当が他支店への異動を掛け合ってくれるとのこと。

「向こうの支店長が会うと言ってくれてるから面接に行ってくれ」

「いや、もういいです。疲れました」

「バカいうな。先方は時間とってくれるって言ってんだ。俺の顔たてていってこい」

「・・・わかりました」

渋々従った。いきなり他支店だなんて言われても、考えられなかった。

あまりにも異動が多すぎた。また、異動になるんじゃないか。知らない土地でまたいちから大丈夫か。

いろんな思いが頭の中をめぐった。面接を断る勇気もなく、当日を迎えた。

火曜日は定休日だが、夜19時に面接は設定された。応接室へ入ると、支店長と課長クラスの二人。

「どうもどうもどうも。話は聞いてます。人事から言われたから時間つくったんだよね。まだ決まったわけじゃないからね」

支店長がにこやかに口を開いた。いや、こっちはやめるつもりですけど。

「なになに、3か月で2棟契約したのに、戦力外だって?厳しいね~。私だったらもう3か月は様子見るのにね~」

隣の課長に話を振るが苦笑。ほめたのか同情したのか?

「三年間頑張ってなんで売れなかったんだろうね。どう思う?」真顔でみてきた。

やめるつもりだったので、言いたい事いってやれ、と開きなおり、話はじめた。厳しい環境に配属された、事務所が閉鎖になった、異動が多かった、でも自分は努力してきた、いい先輩もいた、ただ、努力が足りなかった、生意気だった、人に相談すべきだった、自責他責入り交じって、言いたい放題しゃべってやった。

それについて、支店長は同情するでも肯定するでもなく、その後しばらくは、他愛もない話がつづいた。夜は21時を過ぎていた。

おもむろに

「あなたとここ2時間話したけど、私はあなたが売れない営業とは思えない。一緒にやりましょう。」

すっと右手を差し出してきた。

反射的に右手だして握手。あれ、しちゃった。やめるつもりだったのに。

・・・やってみようか。

かすれ声で「よろしくお願いいたします。」

「あなたには〇〇営業所へ行ってもらうよ。あそこはウチで一番厳しい××くんがいるからねぇ。あははは、まあ頑張ってぇ、期待してるよぉ」

また、厳しいところ・・・大丈夫か?

最後

出会いは偶然の風中、とさだまさしも歌っていますが、いろんな方の手助けがあり、最終的に35年ほど住宅営業を続けることができました。

さまざまな方に、本当に苦しい時に手を差し伸べていただき、本当にありがとうございました。

ここまで読んで頂きありがとうございました。

あなたにとって良い一日を ~まめおやじ

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